境界 世界を変える日本の空間術 p128〜

建築というのは、つまり内部と外部を分けるものである。
内部と外部のあいだに、ある境界を設けるものだ、
それは簡単なようでいて、とても難しい。
(中略)
内部と外部は、0と1のようにはっきり分かれるものではない。
むしろ、内部と外部の間には、0と1のあいだにある無数の分数、白と黒の間にある無数の色の階調が広がっているのだ。
(中略)
このぼんやりとしたグラデーションとしての境界を考えるときに、
切り分けることとつなぎ合わせることは、別々のものではないのかもしれない。
はなれていることとつながっていることは、別々のものではなく、
むしろ表裏一体で常に入れ替わっている。
さまざまなつながり具合、はなれ具合の領域が広がっている。

その時々によって刻々と変化する周囲の状況や人の動き、関係に応じて、
はなれていることとつながっていることとは入れ替わり変化していく。
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# by aknrkym | 2010-06-12 04:57

DAVID LYNCH

Realization is not something that comes from outside : It is the revelation of the Self, in the Self, by the Self.

(気づきとは、外部から得られるものではない。自分で、自分の中から、自分一人で得るもの。)
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# by aknrkym | 2010-05-15 08:53

Numero TOKYO JUNE 2010 p158


米原康正のボップな東京文化人類学

「まわりはこんな考えで、こんな行動をとっている」と、まわりを(無意識に)意識しながら行動する受動的な人たちを僕は「普通の人」と呼んでいる。
そこを理解しておかないと、普通の人は「同じような考えをもち、同じような行動をとる人たち」という、
能動的な人たちのように見えてしまう。
普通の人たちの怖いところは、
流れてくる情報をなんの事実解釈もなしに自分の情報としてインプットしてしまうところにある。
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# by aknrkym | 2010-05-05 18:01

歩きながら考える web 編集日記

January 23, 2010
ひらめきは、身体に宿る。


最近、誰もが「良いアイデア」をむやみに欲しがっているように思う。
発想力に関連したビジネス書や自己啓発本もよく売れているようだ。
確かに、急にそういう能力が身に着くのなら、私もぜひ欲しい。
けれど少し考えれば、「ひらめき」が小手先のテクニックで突然空から降って来るものではないことは、誰だってわかるはず。
本質的に「ひらめき」は、各自のセンスや経験や教養を空に投げ上げて、それを自ら受け止めるようなことではないかな、と思う。あるいは、ものをみる「眼」の精度を上げて、世界に潜んでいるキラキラしたものを発見するようなイメージ。

だから、いまこそ身体に内在する知の力を意識的に増やしていかなくちゃ、と思う。
未知の分野の本を読んだり、調べ物をするときに意識して大元の原典に当たってみたり。そういう作業って非常に地道だし、本のタイトルにもなりづらいけれど、自戒を込めてそんなことを考える。そして、その実際的な知力が、2010年の私たちにとっての新しい「教養主義」の形なのではないかと思ったりする。  



   
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# by aknrkym | 2010-05-02 09:50

Roundaboutjournal vol.8


あるデザイナーなり、クリエイターなり、研究者なり、キュレーターなりという人がいて、
その人が自分の本業とは別にあるメディアをもつということのメリットは、
「自分が何に興味を持っているのか」というある種のリサーチであって、
もうひとつはその継続の中から自分の宣言なり、方向なり、あるいはテーマなりが生成的に浮かび上がらせるための方法である、と。
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# by aknrkym | 2010-05-02 02:39

Roundaboutjournal vol.8


クリエイションって、その人の生い立ちのすべてだと思っています。
その人の生活に品がないと、作るものにも品性がない。どうしても現れてしまう生活環境の経験をいかに世の中に何か形として、メッセージとして残していくか。
(中略)
自分を表現するということこそが、実は社会に接続する方法。
山本里美/LIMI feu
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# by aknrkym | 2010-05-02 02:04

John Warwicker "for john cage (la mer) - the Floating World"


目に見えないものを可視化し、
見て体験した現実を理解し、
日常的な外観を越えた異なる真実の形を探求する。

すなわち創造することとそれを他者が鑑賞するという行為は、
単に文化的な現象のみにとどまらず
社会学的、生理学的、そして哲学的で言語学的な行為である。

アーティストは
実際の体験と内面的な思考・イマジネーションの間に起こるダイナミックな相互作用の中に
彼ら独特の共鳴を見出している。
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# by aknrkym | 2010-04-20 22:48

美術手帖2006.4  p77


「すべての人々はなんらかの障害を持っている」。
そう語ったのはユニバーサルデザインの提唱者ロナルド・メイスである。
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# by aknrkym | 2010-04-18 08:46

広告 2010 April Vol.381 p14

ブリコラージュの思考

レヴィ=ストロースは、主著のひとつ『野生の思考』の冒頭で
ブリコラージュという概念に触れている。
フランス語で、日曜大工や器用仕事を意味するこの言葉を使って、
いわゆる未開社会における思考法を解き明かした。
西洋型の合理性が、理路整然とした計画にもとづいて部分から全体を完成してゆくのに対し、
ブリコラージュはありあわせの材料を組み合わせ、試行錯誤をつうじて作る思考である。
その特徴は、物事の抽象化を経ることなく、
観察の力と創意工夫によっていっきに立ち上げる思考法にあり、
これを「具体の科学」と呼んだ。
自然から人工をつくりだすための、もうひとつの科学。
(中略)
これとこれを組み合わせたら、面白いんじゃないか。
ブリコラージュの思考は、ひらめきと創意工夫という、
わたしたちがみな子どものころから持っている創造の喜びと直接つながっている。
美術や芸術以前の、つくることの本質がそこにある。
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# by aknrkym | 2010-04-11 05:45

地域社会圏モデル  山本理顕|中村拓志|藤村龍至|長谷川豪 p170


建築というのは内と外とをどうしても分けてしまう。
なかでも家族という単位を「一つの住宅」という建築に押し込めてしまったこと、
それがいまのわれわれの生活に決定的な影響を与えたと思うのです。
住宅のなかに家族を閉じ込めて、それを前提にして地域社会も都市もできている。
国家の運営のシステムもそれを前提にしている。
そのシステムがもう疲弊している。
だからこそ、そこにいま、さまざまな問題が集中して起きているような気がしているのです。
だから、家族というユニットがまずあって、
その集合が社会であるという考え方自体を変えないと、いまの社会のシステムの問題を改善するのは難しいと思います。
「地域社会圏」のような家族よりももっと大きな生活単位を想定して、
その生活単位について考えてみようとしたのはそうした理由からです。
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# by aknrkym | 2010-04-08 19:56