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福田繁雄ハードルは潜れ


常識を少しだけずらすような感じと言ったらいいんでしょうか。
柔道の投げ技と同じだと思うんですよ。
相手の力を利用して投げ飛ばす。こっちから無理に投げるんじゃない。
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by aknrkym | 2009-01-25 05:17 | mook

福田繁雄ハードルは潜れ p24


僕、学生にはよく言うんです。
「外を歩くときには、イヤホンを耳につけて音楽を聴きながら歩くな」
って。
近所のおばさんの声でも風の音でもいいから、現実の音を聞かなきゃね。
グラフィックデザイナーのプロになるんだったら、街のことを知らなきゃ。


時代を、社会を、世界を、読まなきゃいけない。
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by aknrkym | 2009-01-24 15:05 | mook

Ettore Sottsass 定理に基づいたデザイン p25


デザイン定理を追及するためにデザインすることがあってもよい。
“デザインする”意味は何なのか。(中略)
デザインは人々にどんなかたちで残るのか。
何もない空間にどんなかたちを残せるか。
歴史の亡霊が棲みついてしまっている空間では、新たに何を残していけるか。
どこまですればデザインが意義ある提案となるのか、
あるいはどこまでしたらデザインが有無を言わさぬ強制や権現に成りかねないのか。

実に複雑でなおかつ魅力的なデザインの定理を浮かべながら、考えたりデザインしたりすること。
すなわち存在意義を定理づけること。
その行為を、私は“定理に基づいたデザインをする”と呼んでいる。


デザインの定理のことで頭がいっぱいになっていると、しばし、ワードローブやテーブル、バイク、ドアなどは、人間の力を増強させる補助器具のようなモノとしてのみのためにデザインされていないはずだと思い直すことがある。
敵を殺すためだけの弓矢のデザインではないだろうし、スープをためるだけの容器のデザインではないだろう。
洗ってあるリネンをしまうためだけのチェストのデザインでもないだろう。

こういった“人のための補助器具のような”モノや、他の幾千のモノのデザインには、人生の中にささやかな“神聖さ”のかけらを加えるための、盛大なあるいは何気ない日常的な“儀式”に使うための道具としてのデザインが、意識的にあるいは無意識に含まれているのだと思う。可能な範囲で。


デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている。
何かがやって来る、もしくは何かが起こる期待感。
ひとつのデザイン、ひとつのプロジェクト(企て)がこの世にすえられた瞬間、それを手掛けた者には責任が課せられる。
バイソンを殺すために弓矢を使った者は、バイソンに許しを乞うことになるだろうし、敵を殺すために剣を使うことは、血が吹き散るということだろう。
テーブルの上にスープの皿が添えられていたら、その皿を与えてもらえる幸せも感謝したくなるだろう。
デザインという定理は実に晦渋なものである。
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by aknrkym | 2009-01-05 23:54 | mook