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悩みのるつぼ by 岡田斗司夫

「リア充」という若者用語をご存じでしょうか?
 元々は「リアル=現実生活が充実」という意味です。しかし私は「この世界をためらいなく受け入れ、楽しめる資質」と定義しています。

 ハロウィンに仮装して渋谷に繰り出したり、テーマパークで撮影した「可愛い私」の写真をネットで公開できる人。
 それがリア充です。

 リア充以外の人を「非モテ」と呼びます。
「この世界の素晴らしいことや楽しいことに参加するには資格がいる」と思ってる人のことです。
 非モテは自分の写真を公開しません。「私は美人でも可愛くもないから、資格が無い」と考えます。

 リア充はあつかましく軽薄で、そのかわり世界の楽しみ方を知っている。
 非モテはひがみがちで根暗だけど、世界の真実に気付いてます。
 どっちが正しい、ではありません。どっちが自分らしいか、というキャラの問題です。
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by aknrkym | 2014-12-03 21:02

ニホンのクルマのカタチの話 P116


「デザインを通じて価値を高めるには、
無意識を意識化することが大切である。
無意識を意識化して思考を深くすることは、
偶然を必然に変えることでもある。


無意識にやっていることを意識化していくと、
偶然に生まれたすばらしいデザインを必然にすることができる。
つまり成功の理由が分かり、
成功の確率を高くできるのです。
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by aknrkym | 2011-08-17 06:50

YOHJI YAMAMOTO MY DEAR BOMB p80


アートだのコンセプトだの何だのと云々する前に、
まず生きることだ。

人生を賭けた魂の活動の、その酸いも甘いも頂戴し、
わたしは生き、楽しむ。

すべては生きることから始まる。
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by aknrkym | 2011-05-02 21:59

LIBERTINES no.3. p138


音楽は無くならない。
世界のひとりひとりがそれぞれに、
今日を悩みもがき生きる自分たちの背中を押してくれる新しいテーマソングを探し続ける限り。

音楽は無くならない。
誰かが誰かを好きになり、その気持ちを言い当てる歌を求め続ける限り。

音楽は無くならない。
人が感情を、その身体の中に持ち続ける間は。
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by aknrkym | 2010-11-02 16:05

Realising Design p150



大切なのは、
ものに含まれるメッセージがいかに周囲に影響を及ぼし、
ムーブメントともいえるような何らかの作用をもたらせるかどうかということ。
そこにデザイナーの役割があるように思います。
(中略)
どのようなものをつくっていくのか。
そのことは、デザイナー自身がどう生きていきたいのかという問題意識に重なっている。
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by aknrkym | 2010-08-19 07:03

relax 2003.03 p010


食材や調理法に関しての豊富な知識や違いのわかる鋭敏な舌。
たとえばそれをパーフェクトに身につけていたとしても、
食べる姿が美しい人の、その美しさ異常の説得力はないと思うのです。
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by aknrkym | 2010-08-18 06:18

by ライナー マリア リルケ


生きるということは悩み続けることである。

悩み続けることが生きている証拠であり、幸せである。

決してしてはならないのは、
その答えを求めてはいけないことである。
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by aknrkym | 2010-07-17 15:56

ちぐはぐな身体 鷲田清一 p165


「非風をまぜること」、
そこに生じるちぐはぐがかっこいいのだ。
でも稽古の末に得られるこの境地は、
ひょっとしたら、若い人がおしゃれにこりだして最初にすることからそんなに遠くないのではないだろうか。
若者はおとなの服を崩して着ることから服を着はじめる。
自分が何がおもしろくないのかよくわからないままに、
しかしやはり何かに対してどうしても抗ってしまう、そういう感覚がたぶん、
服のバランスを変えたり、わざとだらしなく着たりさせるのだ。

ファッションにはそういう意味で、はじめから不良性が、
いかがわしさがつきまとう。
もともと等身大のファッションなんてありえないのであって、
つねに背伸びするか、萎縮するか、
つまりサイズがずれてしまうのが人間だ。
パスカルは「不均衡」(ディスプロポーション)が人間だと言ったが、
ファッションは人間の存在のそのディスプロポーションをいちばん微細に表現するいとなみなのだ。
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by aknrkym | 2010-07-10 05:04

日本経済新聞2010.07.01 39面

壁は破れたか 『パス捨てた人心一新』(阿刀田寛)

2年半に及んだ岡田ジャパンの旅は、29日のパラグアイ戦(プレトリア)が終着点となった。
岡田ジャパンの来し方を顧みながら、日本サッカーの行く末にしばし思いを巡らせてみたい。


(中略)
生き馬の目を抜くようなW杯の戦いで、彼らが身の丈に合ったスタイルを最後に身にまとったことは確かだ。
守備的な戦術の採用に伴う大会前の人心一新で、日陰の立場に置かれてきた一群が、競うようにミエを切った。
全軍に落ち着きを与えた阿部、ボールを前に運び続けた松井、1トップに抜擢された本田である。
監督が守備を固める断を下したのは、何より中村俊が不振に見舞われ、パスサッカーを貫けるメドが立たなくなったから。DFの側から見ても、その方が理にかなっていた。
ゴール前を固める中澤と闘莉王の2人の性質が、このチームに深めの陣構えを選ばせたようにも思える。
空中戦に強いが裏に弱い彼らのために、周囲のスペースを消す。
2人の前に阿部という門番を立てたことで、速攻にからきし弱かった守備網の破れ目が縫われ
負担の減った2人はヘディングで大活躍。

半面、後衛をひしひしと並べた分、前線との距離は遠くなる。双方に渡りをつけるボールの配達人として、つなぎで生きる中村俊よりも縦に往復できる松井は適役で、しかも当人があつらえたように調子を上げていた。

そして本田。大会に至るまでの代表戦でみるべき結果を残していなかったこのMFに、
監督は「彼には得点を期待している」と、繰り返し明快な定義を与え、擁護しながらも責任を背負わせた。
この異端児には「前線から相手ボールを追う」という攻撃陣のルーティンワークから半ば切り離し、異端児として遇した。
これまで信を置いてきた岡崎に監督が見切りをつけたのは、今の日本のFWに得点を望むのは無理があると考えたからだろう。
ある種の諦観と居直り。
「それがどうした」と言いたげな監督の太い態度が、本田の1トップに妙な迫力を与えた。
(以下、略)
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by aknrkym | 2010-07-03 05:57

2010.06.02 山中俊治 ブログより

デザイナーとは
自分が何者であるのか、
何を生み出そうとしているのかを、
常に自分自身に問いかけ続ける職業であると思います。

その問いかけを必要とする理由は、
デザインと言う行為が、
自己矛盾をはらんだ刹那的なバランスの上に成り立っているからです。
デザインは、
人や社会の要請に応えるための、
広範な知識や価値観の統合作業であると同時に、
一方で、
創造の起点を内的な動機に依存する、
きわめて個人的な創作活動でもあります。

それ故にデザイナーは、
最初の一歩を踏み出すためのインスピレーションの元となる書籍を待望し、
ひとたび歩み始めてからは、
自らの位置とつま先の方向を、
歴史的かつ社会的に確認するための文献を必要とします。

この3冊は、私に啓示を与えてくれた光源であり、
居場所を教えてくれる地図でもありました。
「欲望のオブジェ」は、
教条的に批判されがちなデザインの資本主義的な役割について、
冷静な歴史的視点で解き明かしてくれました。
「世界で最も美しい実験」は、
実験装置のデザインを通じて、
偉大な発見をした科学者たちが、自ら
の哲学的思索を現実世界に落とし込んで行くプロセスを教えてくれました。
「Design and the Elastic Mind」は、
人が作るものと人の肉体との間の生理的な交感を収集し、
様々なインスピレーションを私に与えてくれています。
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by aknrkym | 2010-06-22 23:40