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from ことばがひらく 岡本太郎展


芸術家の純粋な孤独は、その反対極としての現実と対決するために、やはりそれを強力に把握しなければならない。
ニ者を矛盾する両極として立てるのである。
(対極の定め方は、合理・非合理、古典主義・浪漫主義、静・動、吸引・反発、愛・憎、遠心・求心等、芸術の技術に即してさまざまである。)
この二つの極を、妥協させたり混合したりするのではない。
矛盾を逆にひき裂くことによって、相互を強調させ、その間に起こる烈しい緊張感に芸術精神の場があるという考えである
(『芸術と青春』1956年)


世界をこの眼で見抜きたい。
眼にふれ、手にさわる、すべてに猛烈二に働きかけ、体当たりする。
ひろく、積極的な人間像を自分自身につかむために。純粋な衝動である。
(『岡本太郎の眼』1966年)


すべての古典はそれぞれの時代に、あらゆる抵抗にたいして現在を決意し、たくましい生命力を充実させた精神の成果です。
過去の権威によりかからず、おのれを卑下せず、激しく生ききった気配に溢れています。
そういうものだけが伝統として、精神的に、肉体的に、われわれ現在を決意したものにびりびり伝わってくるのです。
(『原色の呪文』1968年)


人生に挑み、ほんとうに生きるには瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それには身心とも無一物、無条件でなければならない。
捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでいる。
(『自分のなかに毒を持て』1988年)


赤は激しい情熱をほとばしらせる。
なまなましい、生命そのものの色だ。
と同時に、それは鮮血の色。
危険、不吉、死を思わせる。それが一体になっているのだ。
だからこそ、「赤」は、ただおめでたい、甘い、きれいな彩りではなくて、激しく挑発する、戦慄的な実在である。
(『生きるための死に方』1989年)
by aknrkym | 2009-01-02 22:36 | booklet


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